眼鏡の研究所

サブカルだったアラサーの肥えだめ

百科事典としての音楽

明日は最終面接なのだけど、現実逃避にひとつ。
 
昨日、挫・人間のインストアイベントに行ってきた。
自分が邦楽インディ、引いてはサブカル沼へズブズブになる原因となったバンドだ。
NUMBER GIRL筋肉少女帯も彼らから知ったのだった。
 
フロントマン下川君がジャンプをするたびに「甲本ヒロトだ!」となったし
せわしなく手を振りながら呪詛を吐くたびに「大槻ケンヂだ!」となった。
彼が様々なレジェンドの亡霊を背負っているように見えたのだ。
昨日はアコースティックセットだったけれど、
普段なら彼は赤いテレキャスを抱えているから向井秀徳の亡霊だって見える。
まあ、ここに挙げた人はみんな生きてるんだけど。
 
就活なんぞしていると、面接で「何故バンドをやるのか?」と訊かれることがある。
訊いて何になるのか謎だが、自分がパンクやロックなどやりそうにない地味な見た目だから気になるのだろう。
たいがいは「全員で最初の一音を合わせる、その瞬間がたまらない」と答える。
では、もっと遡って音楽は?
 
「1曲を通してその作者の触れてきたモノが見えるから」
ずいぶん昔に、バイトの面接でそう答えた覚えがある。
なんとなく、ぼやっとしたイメージで答えたのだが、
昨日挫・人間を見て、今日テレビで筋少甲本ヒロトを見て、改めてその思いを固めたのだった。
 
こういう元ネタ至上主義的な聴き方を自分に教えたのは、ニューミュージック好きなサークルの先輩だ。
音楽を聴きながら、このフレーズは誰それのあの曲、この歌詞はあの文学作品の冒頭、
などといちいちやるのである。シチメンドクサイと思う人間もいるかもしれない。
彼が色々な曲でそれをやるので、話を聞いているうちにすっかり身についてしまった。
この聴き方が大瀧詠一のそれだと気付いたのは、雑誌「ケトル」の大瀧詠一追悼特集を読んでからだった。
 
「俺は全く新しいモノを作りたい」と思っているミュージシャンにとっては、煙たい音楽オタクかもしれない。
しかし1曲を辞書として、多くの創作品を知ることが出来る聴き方だと思う。音楽だけじゃない、文学作品や映画も含めて。
たぶんアーバンギャルドの全曲でやったら、結構なサブカルモンスターになれると思う。
松永天馬の膨大な知識とそれを啓蒙したい欲望が一曲一曲に込められているからだ。
熱心なアーバンギャルやギャルソンの方には是非やってみて欲しい(どうなるか見てみたい)。
 
もっともこういう聴き方をするには、「○○からの引用だ」とそもそも気付く必要がある。
「もっと引用に気付きたい!」という変な動機で、あらゆる音楽を聴き漁る音楽オタクになってしまった人間もここにいるが
「Aというバンドが好き」→「そのバンドのルーツを聴く」→「あらためてAを聴く」→「引用に気付いて恍惚」
というプロセスを踏むことは、作者の嗜好をトレースするようで本当にオタクとして楽しいのである。
一番手っとり早いのは、近くに詳しい人がいることだが。
 
我らがオーケンがどこかのエッセイで、
「世の中こんな面白いものがありますよ、と紹介するのがサブカル者の仕事」
といった話をしていた。
 
自分が好きな音楽は、やっぱりたくさんの面白いモノを紹介してくれる音楽なのだ。
 
好きなバンドだけ追っかけるのもいいけどさ、もっと彼らの音楽を深く掘ろうぜ。
 
 

 
イベントが終わったあと、「挫・人間に憧れて、ナンバガのコピバンやります!」という途中にあるべき文を3つくらいスッ飛ばした話を彼らにしてしまった。
嘴が短くて困る。